2022年総括
ご無沙汰してます。
新しい仕事を始めてからはや2ヶ月が経ちました。
そんな中で、また文章を書くことが決まったので、文章を書くリハビリがてら生存報告も兼ねて更新したいと思います。
iPhoneからなので、見にくいかもしれないけど許してちょんまげ〜!
※メンヘラちっくなことを多めに書いているので、一応閲覧注意です。
・どんな一年でしたか?
はっきり言って、10月ぐらいまでは暗黒でした。
たぶん、メンクリに通ってたら鬱病の診断を間違いなく貰っていたレベルかなあ。
11月に、大学のサークルの後輩の結婚パーティがあって、俺もそれに出席しました。
先輩後輩同期に会ってきたのですが、みんな第一声が「心配したよ、死んだのかと思った」でした。ガチで心配されてた。
一年半ぐらい家から出てなかったし、ほぼ誰とも会わなかったので、知り合いの中では死亡説が流れていたらしいです。
実際はほぼ死んでいるも同然な生活を送っていましたけど!
ニートなら「毎日起きてから寝るまでゲーム!w」みたいな生活を俺も最初のほうは送っていました。でも、後半のほうは起きてから寝るまでほぼ何もせず、YouTubeを観たりしながらベッドの上で1日中ぼ〜っと無気力になる日の割合もかなり増えていました。廃人やね。
どこか遠方に遊びに行くような金もなかったので、家の中にいる割合が必然的に増えちゃったんですよね。行って散歩。
オフで久々に会った人はわかっているかもしれないけど、顔から覇気が一切なくなって死人みたいな顔してたのは気づいてるんじゃないかなあ?
・ストレス
マジで色んなことがあってメンタル的には本当に最悪な一年でした。自分のこと、家族のこと、他人のこと。
ばあやの痴呆が少しずつ進行し、それに対してストレスでぶっ倒れる母親。それを見てる俺は気持ち的には本当に痛かった。「自分のこともいつか忘れてしまうのでは?」という不安。
うち二世帯なんですけど、
元々嫁姑の関係からなのか、母親はばあやのことを全然快く思ってないのもあって最悪。(例えばご馳走様に返事もしないとかね)
自分はこの先どうなるんだろう、って漠然と不安になったり。
・持ち直し
今は、高校からずっと付き合いがあって(部活、大学、大学のサークル、卒業後も頻繁に遊んでいた)、一番遊んでいて、一番信頼のできる友人のもとで仕事を始めました。
元々、10月までパート・バイトも全くしておらず、その友人には「コラムを書いてお金を貰う」単発の仕事を振ってもらってました。
そこで、ダメ元で「ここでなんとか働けないかな?」とお願いしていました。気持ちよく快諾してくれました。
なんやかんやで一ヶ月ぐらい隙間が空いたんですけど、「1人『自分がハンドリング出来る人材』』を募集してるんだけど、どう?」と声をかけてくださいまして、流れで社長とも会食を行い、気に入ってもらえて無事働かせて頂けることになりました。んで現在に至る。
今はバイトだし日数も少なめではあるけど、仕事は本当に楽しいです。
・縁に感謝
今の仕事を紹介してくれた友達。こいつには本当に心からの感謝の気持ちしかない。
ずっとゲームで遊んでくれたネットの友達。色んな相談に乗ってくれた友達もいました。多分みんながいなかったら俺本当に心ぶっ壊してどうにかなっていたかもしれない。
本当に相手をしてくれたみんなには感謝しています。みんなのおかげで、ようやく生きることが楽しく思えてます。
・Switch売りました。
失業保険も期間満了して資金的に限界もきていたので、私物を色々売りに出しました。
Switchも前述のマブダチに売りました。まあSwitchは月に2回起動、とかのレベルだったのでちょうど良かったのかも。個人的に2のキャンプが死んじゃって萎えたのもあるけど。
・締めくくり
そんなわけで今年一年色々ありましたけど、遊んでくれた皆さん、ありがとうございました。
今年一年を一文字で表現するなら「生」か「縁」かな。
Switchを売っちゃった影響で、ほとんどの人は疎遠になっちゃったと思いますけど、気軽にDMなりLINEなりしてください。
ちょうどいいタイミングだと思ったんでTwitterのアカウントも変えました。連絡くれれば教えます。
長年遊んでくれる友達は一生涯の友達です。大切にしてね。
ほな、良いお年を。
Splatoon2が出てから今まで そのに
前回の続きです。本記事を投稿するに至って、何度も書き直しをしました。私が作業中のまま保存せずにPCの電源を落としたのが原因なんですけどネ!!ワードやエクセル、イラストなどもそう。作業中のものを逐一一時的に保存することってとても大切ですね。FC2ブログだったらリアルタイムで勝手に下書き保存してくれるんだけどなぁ。
鬼の再投稿+前回の反省を活かして、もう少~~しラフに文章を書くことが出来れば、と思います。あと画像の添付ね。画像があるだけで白飯かチャーハンか、くらい違う。前編を投稿するにあたって、初心者時代のスクリーンショットを必死に探したけど1枚もなかったから質素でわかりにくい記事になってしまった。
●最初の1歩、パワーの上昇
セオリーなども全くわからずに持ち始めたキャンピングシェルターですが、右も左もわからないのになぜかパワーは伸びていきました。
あれだけ必死こいて2400いったのに、その先のパワー帯の部屋でも普通に戦えるようになりました。
もともとこのブキは、実装当時はソイチューバーとタメを張るレベルの最弱ブキだったらしいです。パージするまでは遅いし、傘の復活までは長すぎるし。俺が使い始めたのはヤケクソ強化がされた後でした。
目の前に前進し続ける盾を展開して斜線を切りつつ、エイムが良ければ一撃で倒せる。理不尽を押し付けてニチャニチャするのが最高に気持ちいいブキでした。OWでいうラインハルトみたいな純粋なタンクというロールなのは正直わからなかった。
(純粋に耐久力の高いアタッカーぐらいにしか思っていなかった)
●第2次パワー停滞期
なんだかんだキャンプで頑張って、パワー2500を踏むことが出来ました。が、ここからが長かった。
この時、X2500↓だと価値が無いという風潮が世間的にはありました。それもあったし、当時対抗戦とかをよく一緒にやっていたメンバーは続々と2600に到達していたこともあって、「俺だけ26ないザコだしクソよええから迷惑かけちゃう。あんまり対抗戦もやんないでおこうかな~」みたいな劣等感が産まれていたこともありました。
こんなこともあって、2600っていうデカい壁を越えようと奮闘することを決意しました。2570ぐらいまで上がって、2600にあげようと意気込んだ日は、友達との飲み会を馬鹿正直に「今日ちょっとゲームで大事なことがあるから遅れていくわ」と遅刻していったこともありました。なお結局2600には行けなかったもよう。
(↑当時の配信アーカイブ。飲み会には2時間遅れて行った)
●お師匠様との出会い、血のにじむような努力
そもそも、私の知り合いでキャンプがメインの人って一人しかいません。その男がくろちゃんでした。
知り合った経緯は、対抗戦の敵同士で、なぜか気に入られました。その時の対抗戦の勝ち負けとかは覚えてないけど、キャンプミラーは一生負けてた。
どうにかして上達したい想いもあったので、くろちゃんにキャンプのイロハを教わることになりました。なんか成り行きで、「1ヶ月全ルールでキャンプを使い続ける」という、飽き性の自分にとっては地獄の通達を受けました。1日1万回感謝の正拳突きさながら、大変な毎日を過ごすことになるのでした。
私はリアルで楽器を触っていたこともあり、「短期の練習ですぐ上達することなんてない」ことはわかっていました。努力が結果として表に出てきたのってそこから3ヶ月後とかだったかも。結果が出るまでは先の見えないトンネルをずっと歩いている感じでした。しかし努力の甲斐もあってか、以前は2500キープが精一杯だったものが、余裕が出てきて少し楽になったりはしていました。
くろちゃんと二人三脚で、対抗戦などに取り組むようになりました。プレイスタイルや、考え方を吸収していく中で、そもそも「自身が何も考えずにプレイをしている」ことに気づけたのは本当に収穫でした。よく見捨てないで彼も付き合ってくれたと本当に思う。下手くそを見ているのは辛かっただろうに。
(↑当時のメモ書き。すねげさん、元気かなぁ…)
●努力が結果として出てきた
鬼の鍛錬を積み重ね、ようやく結果を残すことができるようになった瞬間がありました。
この時期、かずーはがグロウアップ杯2ndを開催してくれました。
(↑大会要項)
自分も選手として出場しました。
(↑チームのみんなとコーチ。結果はドベでした^^)
大会後、努力が結果として出てきました。勝ち方がわかったのか、「勝てている試合は、自分がこういうことを出来ているから勝てている」ということが言語化出来るようになったのです。結果、ガチマッチの成績自体もかなり上向きになりました。当時の自身のハイスコアにもすんなりと到達しました。
そして。その月の最終日のガチマッチにて、
無事2600となりました。
(あまりにもクソリザルトでわらける)
(↑真っ先にお世話になったくろちゃんに報告しました。喜んでくれた)
俺、ゲームで泣いた経験なんてなかったんだけど、この時は涙ポロポロでした。それだけ本当に嬉しかった。長い間苦しんだけど努力が実ってよかったこと、ようやく周りの皆と肩を並べられるようになったこと、何より、時間を潰してずっと付き合ってくれたくろちゃんに恩返しができたこと。色々な想いがありました。
「人に教わること」の大切さを学んだ瞬間でした。もちろん自分自身で努力をして上達をすることも大切ではあるけれども、自分よりも「格上」の存在から、そのプレイ・考え方を吸収することって改めて大事なんだな~って思った次第でした。
●ハイスコアと逃走
月が変わり、早めの段階で2ヶ月連続で2600に到達しました。この時私は就職したこともあり、在宅の日でも休憩中はガチマッチに取り組むようになりました。
ガチマッチに取り組んでいく中で、パワー2600帯でスタック出来るようになりました。月末に近づくにつれて、自身の最高値も比例して少しずつではあったけど伸びていきました。
(↑血の滲む努力をし実力を身に着けた結果、ロック・リーと呼ばれるようになりました)
パワーも2670ぐらいまで伸び、何度も何度も2700チャレンジの瞬間はあったけれども、焦りからティルトして全然まともな動きが出来ず、結局2700には到達出来ませんでした。バンドやってるときもそう、ライブ本番だと緊張から歌詞が飛んだりとかコード吹っ飛んだりとか普段しないようなミスっていっぱいしちゃうんよね。
同じ月、YouTubeを開いたらガチマで味方としてマッチングしたプラコラ使いのガチマ配信がレコメンドされていました。恐る恐る配信を開いてその試合を観てみました。その試合は動きもリザルトももまともだったのですが、「こいつはニワカ」「キャンプの動きじゃない」みたいにボロクソに批判されてて、萎えてしまいました。
この時、Splatoonを続けていく上での自分の中のモチベーション糸がプッツーンって切れてしまいました。初めてここまでボコボコに言われたこともあり、「二度とやんねえわこのゲーム、やめるわボケが」と、Splatoonから完全に逃げたのでした。
●エンジョイ勢へ
結局、この5年間で、Splatoon2のパワー最高値はエリアの2674で終了しました。
もう少し頑張っていれば2700に載せられていた自信はあったかなぁ。この時が本当に脂ノリノリだった。
ショッキングな出来事があったことや、別ゲーが流行っていたこと、周りの人たちがみなSplatoonから離れていたこともあり、自分もやらなくなってしまいましたとさ。そこから時が流れて今に至ります。
と、自分のストーリーはこんな感じでした。所々もう少し端折って執筆したかったのですが、結局ここまで長くなってしまいました。拙い文章ではありますが、お読み頂きまして、ありがとうございました。また、今まで関わってくださったフレンドの皆様全員に感謝を。
3ではそこそこ頑張る予定です。最初の目標は、夢はでっかく「全ルールカンスト」かな。もちろんウデマエX実装までに。
それでは、ありがとうございました。バンカラ街でまたお会いしましょう。
最後に想い出の写真でも載せておきます。
(↑双葉杯2。w/Pe-san 。この時頂いたヘッダーは一生の宝物です)
(Pe-Cup w/ぐおー、りつむ、すばる。初めてドラフト杯の主将を務めた。4人で本気で勝ちに行くガチアサリは、マジで面白い。)
(自身初めてのリグマ1位🥇w/マーマレード、しゃり、Pe-san。朝9時からの健康リグマだったことを覚えています。)
(↑2021/12/31-2022/1/1。んほーのみんなで初詣)
(↑缶チューハイ杯 w/わかたま、てっど、ユーキ。酒飲みながらゲームするもんじゃねえわ)
(↑フリーザ杯&マスチェニー杯 w/しぐやん、すばる、わっふる。マスチェニーのときは本当にご迷惑をかけてしまい申し訳ございませんでした。一生かけても償えないと思います)
(↑アサリ王冠。ちなみにブキトップ。実は計測+1戦しかしてません。)
(Best Friends Cup。w/ぱえ。28ボトルに勝ったのに次のあつむりとかそこらへんにボコされたのが悲しい)
Splatoon2が出てから今まで そのいち
世間では、Splatoon3 の発売まで1週間を切り大きな盛り上がりをみせています。Splatoon2が発売されてから5年経ち、満を持しての3発売となりました。無印(wii u)は自身経験していませんが、Splatoon2は発売当時からプレイして、そこそこの時間を投資したので、その分ちゃんと上達したと思います。Splatoon3が発売されるにあたり、Splatoon2をプレイすることももう無くなってしまうので、自身の経験や思い出などを、自分の文章表現の上達も兼ね(一応文を書く仕事をたま~~にしています。)、ここに書き留めておきたいと思います。
※ガチガチには書いていないと思うので、ただのTwitterのつぶやき程度に思ってください。
●Splatoon2との出会い
もともとニコ動をめちゃくちゃ利用していた自分にとっては、Splatoonの存在自体は認知していました。当時のゲームタグのランキングタグは、スマブラかSplatoonか、みたいな感じだったと思います。
当時大学生だった石川少年はバンドに打ち明けていたため留年が確定しており、そんな中、任天堂様がNintendo Switchを発売。何故かわからないけど、自分の中で「Splatoon2かぁ、クッソやりてえなぁ」の衝動に駆られ、勢いでSwitchを購入しました(Switchが発売されてはいたけど品薄すぎて入手にとても苦労したのはいつか話します)。
時が流れSplatoon2の発売日になり、夏季のテストもほぼ終わった私は、ほとんど遊ぶこともなく箱の中でホコリを被っていたSwitchに手を伸ばし、パワーボタンを点けることとなり、シンデレラストーリーではなくとも、その物語が始まるのでした。
●初めてのジャンル
「そもそもこの手のジャンルのゲームの経験は石川くんにはあるの?」っていう話ですが、全くもってありません^^
前述の通り、当時大学生の私はバンドばかりやっていたので、家庭用のハードで遊ぶこともほぼありませんでした。先輩の家でやったドカポンが最後だったかも。
その大学生当時やっていた対戦ゲーという対戦ゲーで続いていたものは、スマホゲーだとクラッシュ・オブ・クラン、シャドウバース、荒野行動、サドンアタック(突発的に友達とやったのでプレイ時間3時間ぐらいです)、PUBG(マジで指先だけしゃぶる程度)。CS機はOverWatch(200時間ぐらい)だったかな。
ゲームというゲームでプレイ時間を重ねたのはMMOのメイプルストーリーでおそらく10000時間ぐらい、スマブラXで1000時間ぐらい、ポケモンシリーズで3000時間ぐらいかな?
こんな感じで、FPS/TPSは本当にちょっとだけしかやっていなかったし、そもそもゲームもそんなにしていなかったから、ここまでハマったのは意外。
●はじめてのすぷらとぅーん
前夜祭(体験版)は経験せず、パッケージ版からぶっつけ本番で始めたため、操作方法や、常識といったモノは私にはなく、ただの練馬区のいちアナーキーでした。
そんな私にとって、初めてのジャンルのゲーム。初めてのジャイロ操作。わかばシューターを片手にハイカラスクエアにぶちこまれた私。産まれたての仔鹿も同然です。最初は不安・・・とかそんな負の感情は一切なく、ただただ銃のトリガーを引いて塗っているだけでも面白く、キルまで取れればそれだけで脳汁ブッシャーのアドレナリンドバババ~でした。
プレイしていく中でゲーム内のクレジットが溜まっていき、それを消費して新たなジャンルのブキを解放していく。「なにこれ!スプラシューター!」「ダイナモローラー?クソ重いやんこれw」「ローラーってなにこれ!轢き殺して1発で殺せるの?!」みたいな、新しい選択肢が増えていくこともあり、毎日がドキドキ・ワクワクできらめいていました。
この時はサークルの先輩や同期とずっと遊んでいました。まじで時間があればSplatoon、バイトが終わって帰ってきたらSplatoon、授業が終わって帰ってきたらSplatoon。メイプルストーリーをやっていた時のように、毎日のライフサイクルの中にSplatoonが侵食していき、生活のほとんどを制するようになっていきました。
●初心者時代
はじめに、ま~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~じで申し訳ないんですけど、本記事を投稿するにあたって、脳内の初心者時代の記憶を天地返しして必死に思い出してはいますが、この時の記憶は正直言ってほとんどなく、悲しいことに特に記載できるようなこともないのが本音ではあります。このようなことからとてもか細い記憶のピースを頼りに中身がほぼない文章を書き上げることになるので、そこは最初にお詫びしておきます、ごめんね~。
初心者時代はナワバリやフェスマッチ、リーグマッチもリアルの先輩・同期と適当に遊んでいました。
初心者のうちはルール性も何も理解していなかったけれども、自分にとってはゲーム自体をプレイしていること自体が楽しかったので、時間を費やすことに対しては何も国思わなかったし、無我夢中で楽しんでいたと思います。
・・・ごめんなさい、曖昧で。
●初心者時代の使用ブキの話
フレンドの皆々様に、「石川といえばどんなブキのイメージ?」と問うと、100人中100人が「キャンピングシェルター」と答えると思います。私のメインウェポンです。
(↑散々使ったけど塗りカンストはしてません)
初心者の時って、いろんなブキを一通り触ると思います。その中で環境の中でめちゃくちゃ強いブキ、あるいは自分にとって使っていてしっくり来る(この感覚って大事だよね)ブキを使うと思うんです。
ですが、私自身本当に飽き性で1つのブキに絞って使い続けることが出来なくて、いろいろなブキをちょろちょろと触っていました。そんな私が最初にハマったブキは「カーボンローラー」で、その次は「ボールドマーカー」でした。ニコ動でプレイ動画をディグっているうちに、「雷神ステップ」なるテクニック(詳しい説明は省きます。)を使用している動画を見つけて、「なにこれ~~!!」って感動しながら使っていました。
この時は純真無垢のジャリボーイだったので、前述したボールドマーカー、カーボンローラーといったブキは、当時はマイナー中のマイナーブキであり、使用している人は変態・アホ・初心者の中のどれかに該当すると思います。
初心者とはもう呼べなくなるウデマエS+からウデマエX到達までは、主にホットブラスターカスタム、ロングブラスター、スクリュースロッシャーを使用していました。
ウデマエX到達時の使用ブキは、
・ガチエリア→スクリュースロッシャー
・ガチヤグラ→ロングブラスター
・ガチホコ→ホットブラスターカスタム
・ガチアサリ→ロングブラスター
だったはず。生粋の単発ブキの使用者でした。
●ガチマッチにも取り組むようになる
それなりにプレイ時間を重ね、基本的な操作などを身に着けてからは、プレイ時間も前と比べて増えました。
その中でガチマッチにも取り組むようになり、前作から流れ込んできた猛者と正真正銘の初心者が入り交じるカオティックな環境の中で、ついにウデマエS+に到達しました。「これで俺もS+だ~~!!」と、鼻息フンフンだったのですが。喜びもひとしお。
この時のウデマエのカンストはS+50でした。そんな中でS+になりたての自分はボコりにボコられ続けました。S+をキープすることもままならず、S+0からA帯を永遠に右往左往し続けました。記憶上では最高S+1までしか上がっていません。あんまりにも勝てなくて、「上位帯の敵ってバケモノしかいねえんだ・・・」と気分が落ちに落ちて、ガチ萎えして1ヶ月ぐらいSwitchに触らなかったこともありました。このようなこともあって、「本気で取り組むのはやめようかな・・・」と、リーグマッチに引きこもった時期もありました。
●単発ブキとの出会い
もともと私は、キャンピングシェルターをずっと使用していたわけではなく、ある程度まではずっと、ブラスターとスクリュースロッシャーを愛用していました。
私が使用していたブラスターは、ホットブラスターカスタム・ロングブラスター無印の二種。
こいつらの共通した特徴としては、
・単発ブキ(フルオートではない)
・爆風で2確、直撃で1確というなんともロマンな火力の高さ
・メインの硬直がちっと長い→1発外したら負ける場面が多々
という、なんともピーキーではありますが、使いこなせれば楽しい(強いとは言っていないが、当時は環境的に強かったブキのはず)ものでした。エイムさえよければ一撃で敵を屠ることができるなんて、男の子からしたらもう勃起モノでした。
ガチマッチでくすぶるようになり、リーグマッチのお相手もリアルの知り合いしかいませんでした。そんな私はこの頃から、まこれさんという大学のリアル先輩とよく二人で遊ぶようになりました。
彼は無印でスクリュースロッシャー/ネオ、スプラスピナーコラボS+99。私からしたらバケモノです。2でも時が経ち、アプデでスクリュースロッシャーが実装されてからは、まこれさんは元気にスクスロをぶん回してました。
それに影響を受けて、私もスクリュースロッシャー(以下洗濯機)を使用するようになりました。リグマで二人で洗濯機を持って潜っていたこともありました。ブキ迷子になっていた私にとって、この洗濯機というブキとの出会いはなんとも運命的なものだったと思います。こいつがなかったら俺はウデマエXに絶対いけてないし、このゲームを売っていたまであるかもしれない。
洗濯機は弾道が特殊で壁裏の敵や高所の敵にも当てやすく、直撃+カス当てで2発、カス当て3発で確キルという火力、当時の環境に居座っていたほとんどのブキに対して射程で有利を取れていたのもあって、使っていてめちゃくちゃ楽しかったです。
列挙したブキの特徴として共通している、「弾を直撃させれば確定数が少なくなる」という点が、自身にめちゃくちゃマッチしていたから、ずっと使い続けることが出来たのかもしれません。
●ウデマエXの実装
そんな中、ある日のアプデで「ウデマエX」が実装されました。ウデマエの制度が変更され、従来のS+50がカンストという制度から、S+9から昇格するとウデマエXに昇格し、Xパワーの数値で競い合う、という制度に変更となりました。
このアプデの告知が入った当時は「カンストはもう二度と行けないのか」という複雑な気持ちにもなりました。けれども、気持ちを入れ替えて、ウデマエX到達という新たな目標のもとに、またしこしことガチマッチを頑張るようになりました。
ウデマエXが実装され、当時S+カンストあるいはS+二桁帯にいるような上位プレイヤーはすでに、高校から付属の大学に進学するように、ウデマエXにエスカレーター式で昇格していました。ウデマエX未到達のS+帯のプレイヤーはそれに合わせて自分と同じぐらいの程度のプレイヤーしか残らなかったので、ウデマエメーターを割るようなこともなくすんなりと勝ちを重ねられるようになりました。
そんな中でプレイを重ねていくうちに、自身もウデマエXに到達することが出来ました。当時はめちゃくちゃ嬉しかったな~。これで晴れて当時の目標としていた上位帯に仲間入りすることができたのでした。
_____
初心者時代のお話はこんな感じです。内容自体はかなり省いて書いたつもりだったのですが、文字数自体はめちゃくちゃ増えてしまったし、読みにくいと思うので、分けて投稿をしたいと思います。そのいちはこの辺でとりあえずおしまい。
通ってきた音楽の話
自分語りのコーナー。
なんかさっき友達とフェスの話してたら自分の音楽のルーツというかそういう話になったので書いてみます。
……って言ったけど、ちゃんと音楽(俺の場合はバンドなんで、以下、バンドと書きます)を聴き始めたのって高校2年くらいからなんですよね〜。
小学校の時からネトゲにハマってたせいで周りの流行にはかなり疎かったのもあって音楽って何?って感じでした。
小学生の時はORANGE RANGEとか、なんかクラスで踊った嵐とか。中学生の時はスピッツだったかな?
MDプレイヤーとか、iPod nanoを買ってもらっても曲を入れて常に持ち運んで常に音楽を聴いてるようなことは一切しなかった。
んで、高校に入ってからは軽音部に入ってバンドを始めました。コピーバンドね。
別にバンドがやりたかったわけではなく、単位のために。
最初はなあなあで入ったけど、とあるバンドの曲を聴いたことをきっかけに、単位のためではなくてただ本気で時間を注いでバンドにのめり込むようになりました。
○とあるバンドとのであい、バンドにのめり込むきっかけ
J-Sportsのプロ野球中継ってチェンジのたびに毎回曲が流れるんですよね。
当時の俺はその流れた曲に衝撃を受けた。
これはなんだ?!と食いついたのが「フジファブリック」でした。そん時の曲は「Sugar!!」だった。
フジファブリック - Sugar!!
この出会いがきっかけで、初めて自分から能動的にちゃんと音楽を聴いてみよう!と思った。その初めてがフジファブリックだった。
その衝撃というかインスピレーションというか、ソレは、なんだかわからない。だけどビビッとくる感じ。言葉では言い表せない衝撃。
映像で残ってるライブは食い入るように観たし、
志村の真似して黒いハットも被ってた時期もありました。
機材は志村と同じギター(もちろんヴィンテージなんて高いから、安いけど似てる仕様のやつを買おうとしたりしました)やエフェクターを揃えようとしたり。
歌い方も完全に志村に寄った。ナード感ありつつ、音程も外すような、でも感情だけで歌うような。
(…思えばこれが原因で俺は歌が下手になったんだったんだと思う。)
そんぐらいの衝撃を受け、リスペクトするようになるぐらい、熱中できたバンドだったんですよね〜。
「あなたの音楽のルーツは?」と聞かれたらフジファブリックだと答えます。なあなあで続けていたバンドを一生続けてぇ〜と思って本気でやりはじめたきっかけにもなった。
こっから本気でバンドにのめり込むようになりました。
○他に聴いていたバンド
このぐらいの時スペースシャワーで注目されてたのってサカナクションだった気がする。
アルクアラウンドのMVはマジで凄かったなあ。衝撃。
今じゃ本当にビッグなバンドになってしまった。
こいつらはマジで凄かった。あっという間にブレイクしたもん。聴いててもめっちゃいい。
歌詞は文学的かな。
ネトゲで出会った友達(あだちゃんいつもありがとう)におすすめされたのはavengers in sci-fi。
avengers in sci-fi - Yang 2
ホモサピとかユニバースユニバースとかナユタナイズドとかもいいけど俺はこれが好き。
○世代の流行り
ところで、俺の世代で中高生ぐらいで特に流行ってたバンドって、思いつく限り羅列すると、
ELLEGARDEN、BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、UVERworld、RADWIMPS、[Champagne]、Base Ball Bear、チャットモンチー、MONGOL800とか有名どころはそこら辺か?
ちゃんと聴いたのって大学に入ってからなんですよね。しかもほとんど好きじゃねえから別にディグって過去のアルバムを聴いたりもしない。ちゃんと好きで聞くのはアジカンとかバンプとかかな。
大学入る前らへんとかからは、
「流行ってる音楽は聴きたくない」とかそういう逆張り的思考も少しはあったのかもしれないけど、全く有名じゃない、いわゆるどマイナーなバンドばっかり聴いてた。
○大学生以降
こっからはしっちゃかめっちゃかだけど、特にエモばっかり聴いてた。
拳を突き上げてボロボロ泣きながら感情的になれるバンドっていうのかな…
特に影響を受けたのは、
eastern youth - 夜明けの歌
言葉にできない。最高。
SuiseiNoboAz - E.O.W.
俺が一番好きなバンド。めちゃくちゃライブ観た。
このバンドをコピーできたのが生涯の思い出です。
lostage - blue
これもいい。手紙とかsurrenderも好き。
○おわりに
まあこんな感じでみんな知らないバンドしかないと思います。
ただ、今になって有名どころはある程度聴き込みました。アジカンとかバンプとかサンボマスターとか。
今一番聴いてるのはスピッツです。
親知らずを抜くことになってしまった話 その1
Bad Tooth Guysの片割れです。
先日、歯医者の定期検診があったので行ってきました。
美人な歯科衛生士「なにかお変わりがあったところとか、気になるところはございますか?」
美人な歯科衛生士さんは僕のめっちゃタイプです。ピアス7個くらいあいててコーヒーが大好きらしいです。
ぼく「2ヶ月くらい、右下の歯がジンジンするんですよね。」
美人な歯科衛生士「あら、わかりました。どういったときでしょうか?慢性的な感じでしょうか?」
ぼく「甘いものとか食べたときですね。グミとかガムとか、それでもジンジンします。」
美人な歯科衛生士「わかりました。レントゲンお撮りしましょうか?」
ぼく「オネガイシヤス」
ってな感じで撮ってみたのですが、
美人な歯科衛生士「石川さん、撮影してみた結果なんですけど…」
美人な歯科衛生士「こちらご覧いただけますか?」
「一番奥の歯と、その1つ隣のぶつかっているところに虫歯があるかと思われます。」
ぼく「あ~~~そうなんですね~~(ハナホジ)」
ここまではよかった。
「ただ…」
?ただ?なんだって?
「その奥に生えている親知らずが邪魔になってしまうんですね。」
ぼく「」
________
ここで、僕の歯についてお話します。
現在、僕は4本の親知らず、全て未処置です。何もしてません。
で、図で表してみます。
青○は今回の虫歯です。
で、その隣の親知らず。いわゆる水平埋没ってやつです。横向きで完全に埋まってます。
こいつが虫歯の治療の際にノイズとなってしまうので、
①虫歯の治療と並行して、親知らずの抜歯を行う
②親知らずを先に抜歯する
という2択を強いられている状況です。
抜歯の手順としては、
①完全に埋まってしまっているので、歯の周りの骨から切除
②歯を4分割くらいにするらしい
だそうで?
ご覧頂いた画像は下顎の話です。
下顎の親知らずのすぐそばには、
「下歯槽神経」という、顎とか唇周りに全部つながっているクソ太い神経が通っているらしいです。画像で言えば橙色の斜めの線のところですね。
この神経に傷をつけてしまうと、後遺症として
・あごまわりのしびれ
・舌まわりの麻痺(味覚障害、やけどしても気づかなくなったり)
・唇まわりのしびれ
みたいな大惨事が起こってしまうわけですね…恐ろしや…
で、自身の話に戻しますが、
僕の親知らずくん、この「下歯槽神経」スレスレに生えています^^
なんてこった…。
これが一番厄介であり、普通の小さい歯医者だと、どうしてもリスクが高すぎるがゆえ、大学病院や口腔外科といったスペシャリストのもとで抜歯を行わないといけないんだそうで。
まず大学病院等は紹介状必須であり、数時間待つとかもザラ。ひゃ~大変で~。
抜いた人の話とか調べてみると、なかなか痛みがやばいらしいじゃないですか?こちらロキソニン常飲していますどうぞ!みたいな人ばっかりなんですけど。それも2週間くらい。
やべえよ鳥肌止まらねえよボケがよ…
しかも下顎だから体調悪くなること必至らしい。終わった。俺の人生終わりだよ。
なんだよ抜く日に仕事休んででも抜いてくださいって。まじかよ。
_____
話を戻しまして、
美人「どうしましょうか?CTお撮りしますか?」
ぼく「いっちゃいましょう!!!」
美人「わかりましたwwwwやっちゃいますかwww」
ってことで親知らずを抜くことになりました。
いつになるかはわからんけど。多分続きます。
物を買うときはインスピレーションで決める話
最近皆さんは何か買い物をしましたか?
僕はDr.Martensのサンダルを買いました。
実はこの方、スポーツサンダルを一足も持っていませんでした。
アイランドスリッパの普通のサンダルなら持ってるんですけど。この前んほーでサンダルの話になって、「ああそういえば俺もスポサン一足でも欲しいな〜〜」と思っちゃって。
結局迷いはじめ、、旧友に「何かええのないか?」と聞いてみたところ、最初はKEENのスポサンをオススメしてくれたんですけど、ハズすとガチでダサくなる説があって怖かったんで、マーチンのグリフォンをオススメして頂いて、購入に至ったわけです。
ここでタイトルの話に戻りますね。
「物を買う時って結局直感のまま買いませんか?」
先程の話で僕はサンダルを買いましたと言いました。
グリフォンを見た瞬間、あ!!!!!!!もうこれしかねえ買う買う買う買う買う買う買う買う買う買う買う買う!!!!と、脳内がグリフォンに侵食されてしまいました。脳内メーカーで言えば、頭の中が黒い色の「グ」で一杯になっている状態です。
これが、インスピレーションです。
直感。ひらめき。
俺だったら、「これいいな〜〜〜めっちゃほしいねんな〜〜〜」と思ったら、もう迷わず購入します。お財布と相談は基本しません。
だってさ、悩んでる時間、クソもったいなくね?
そんなんだったら、さっさとその場で自分のものにしよう〜って思っちゃうタイプの人間です。
○そうなってしまったきっかけ
自分語りになっちゃうんですけど、僕は高校の時からバンドをやってました。
まあ大体の人はわかると思いますけど、楽器がないと演奏出来ませんよね?
当然その楽器(僕ならギターです)って、めっっっっっっっっちゃくちゃ種類があるわけです。
そして何より、楽器って一点モノなんです。
当然オーナーが使い込んで、塗装が剥がれてボロボロのモノ…年代物だけど、めちゃくちゃ大事に使って綺麗なままのモノ…、ゴミみたいな見た目だけど音はめっちゃいいモノ…、世界で一つだけのなんちゃらです。ナンバーワンよりオンリーワンなんですね。
まあ楽器は特例なんですけど。
ここから沼にハマっていってしまった訳です。
でも、これってめっちゃ深いと思うんですね。
古着とか、ハンドメイドのクラフト品とか、この例に当たるんじゃないでしょうか?古着買わねーよってやつはブラウザバックしてください。
自身の話ですけど、
VANSのビンテージのスケ8を買った時も、相場よりめちゃ安かったし見た目も良かったしで、結局10分ぐらい悩んですぐヤフオクで落札しました。
これ、直感で買ってます。
○買わないで後悔するな
仮に目の前にめちゃくちゃ欲しいモノがあったとして、貴方はすぐそれを購入しますか?
たぶん以下の点を考慮すると思うんですね。
・本当に今欲しいモノなのか?
・今買わなくてもどうせ残ってるんじゃないか?
・買う金はあるのか?
・相場より安いか?
俺だったら、即断即決で借金してでも買うと思います。
結局ね、
「あの時、買えばよかったなあ…」なんて後悔は一切したくないからです。
「買わない後悔より買う後悔」ってあると思うんですね。
目の前のモノがなくなったら、いつ買えるかわからない。死ぬまで二度とまた出会えない、なんて事もあるかもしれない。
そんなことが無いように、インスピレーションで買う、ということは大事だと思います。
皆さんも欲しいものは迷わず買って日本の経済を回してください。
買わないでヘラるなら買ってから文句を言ってください。
QOLは少しでも上がりますから。
オタク的な話になって申し訳ありませんでした。それなりに温めていたネタでした。
100分1万円の整体と腸もみを受けてみた話
○経緯
オフィスへの出退勤の際に電車の乗り換えを行うのですが、乗り換え駅のホームの中の壁に寄りかかって電車を待っていると、何やら「腸もみ、自律神経に効く!」みたいな広告が壁にあるじゃないですか。
その謳い文句にまんまと釣られ、「俺も行ってみるか?」という脳みそになってしまいました。金曜日の仕事中はずっと頭の中でいっぱいでした。
僕はバチバチのデスクワーカーで、自律神経失調症持ちです。そんなの行ってみるしかないよね。
しかも人生初です、整体に関しては。右も左もわからない青二才です。
○予約
朝は9時くらいから、夜は23時まで予約が出来るお店でした。めっちゃ遅くまでやってるやん。
新規向けのクーポンがあったのでホットペッパービューティーから予約しました。
こんな感じで何個かメニューがあったけど、
どうせなら良いやつやっとこ!って考えにいたり、「デスクワーク疲れに!腸もみ整体+足裏+ヘッド」みたいなメニューにしました。¥8700也。
○いざ出陣
山手線沿線の某駅、Google MAPに従って進んでいくと小さな看板ですがお店の看板を発見。何とも怪しい出で立ちの小さなビルの中のワンフロア。
初入店だったので、今気になっているところは何ですか?系のチェックシートを書きました。
書いてからはベッドに通され、指定されたルームウェアに着替えました。
○施術開始
脚→腰→腸→首
の流れでした。
ちゃんとストップウォッチで時間計ってました、しっかりしてるね。
足の裏のオイルマッサージから始まりました。
既にめちゃくちゃ痛え。
「これ(たぶん指の腹で押してる、多少は痛くない)と、これ(わけわからんぐらい痛い)、どっちが良いですか?」
と言われて、迷わず前者を選びましたが、めっっっっっっっっちゃくちゃ痛えよ。
整体自体初めてなんですけど、俺の身体コリすぎ?ってレベルで痛いところグリグリされて感動しました。マゾは喜ぶと思う。
ほぼ寝てたのであんまり記憶にないんですが、脚がバリ痛かった。
腸もみ、と聞いて、NARUTOで、忍界大戦中に死にかけのナルトをサクラが蘇生させるシーンを思い出しました。
実際のところ腸まわりのツボをムニャムニャする感じでした。すげえぐわんぐわんした。
っていうかお腹周りにツボって存在するんですね。びっくりしました。
○感想
とりあえず全体的に、めちゃくちゃ痛かった。施術師曰く、「身体がこりすぎて何回か来ていただかないとコリが取れません!」みたいな感じでした。
まあ値段が高いのはネックだけど、気持ち良かったので何回か通ってみようと思います。
ただ、整体の経験がない人は1回は行ってみて欲しい。
その一回で割と世界が変わります。終わった後身体が軽すぎてビックリした。
特にデスクワークの人。