Splatoon2が出てから今まで そのに
前回の続きです。本記事を投稿するに至って、何度も書き直しをしました。私が作業中のまま保存せずにPCの電源を落としたのが原因なんですけどネ!!ワードやエクセル、イラストなどもそう。作業中のものを逐一一時的に保存することってとても大切ですね。FC2ブログだったらリアルタイムで勝手に下書き保存してくれるんだけどなぁ。
鬼の再投稿+前回の反省を活かして、もう少~~しラフに文章を書くことが出来れば、と思います。あと画像の添付ね。画像があるだけで白飯かチャーハンか、くらい違う。前編を投稿するにあたって、初心者時代のスクリーンショットを必死に探したけど1枚もなかったから質素でわかりにくい記事になってしまった。
●最初の1歩、パワーの上昇
セオリーなども全くわからずに持ち始めたキャンピングシェルターですが、右も左もわからないのになぜかパワーは伸びていきました。
あれだけ必死こいて2400いったのに、その先のパワー帯の部屋でも普通に戦えるようになりました。
もともとこのブキは、実装当時はソイチューバーとタメを張るレベルの最弱ブキだったらしいです。パージするまでは遅いし、傘の復活までは長すぎるし。俺が使い始めたのはヤケクソ強化がされた後でした。
目の前に前進し続ける盾を展開して斜線を切りつつ、エイムが良ければ一撃で倒せる。理不尽を押し付けてニチャニチャするのが最高に気持ちいいブキでした。OWでいうラインハルトみたいな純粋なタンクというロールなのは正直わからなかった。
(純粋に耐久力の高いアタッカーぐらいにしか思っていなかった)
●第2次パワー停滞期
なんだかんだキャンプで頑張って、パワー2500を踏むことが出来ました。が、ここからが長かった。
この時、X2500↓だと価値が無いという風潮が世間的にはありました。それもあったし、当時対抗戦とかをよく一緒にやっていたメンバーは続々と2600に到達していたこともあって、「俺だけ26ないザコだしクソよええから迷惑かけちゃう。あんまり対抗戦もやんないでおこうかな~」みたいな劣等感が産まれていたこともありました。
こんなこともあって、2600っていうデカい壁を越えようと奮闘することを決意しました。2570ぐらいまで上がって、2600にあげようと意気込んだ日は、友達との飲み会を馬鹿正直に「今日ちょっとゲームで大事なことがあるから遅れていくわ」と遅刻していったこともありました。なお結局2600には行けなかったもよう。
(↑当時の配信アーカイブ。飲み会には2時間遅れて行った)
●お師匠様との出会い、血のにじむような努力
そもそも、私の知り合いでキャンプがメインの人って一人しかいません。その男がくろちゃんでした。
知り合った経緯は、対抗戦の敵同士で、なぜか気に入られました。その時の対抗戦の勝ち負けとかは覚えてないけど、キャンプミラーは一生負けてた。
どうにかして上達したい想いもあったので、くろちゃんにキャンプのイロハを教わることになりました。なんか成り行きで、「1ヶ月全ルールでキャンプを使い続ける」という、飽き性の自分にとっては地獄の通達を受けました。1日1万回感謝の正拳突きさながら、大変な毎日を過ごすことになるのでした。
私はリアルで楽器を触っていたこともあり、「短期の練習ですぐ上達することなんてない」ことはわかっていました。努力が結果として表に出てきたのってそこから3ヶ月後とかだったかも。結果が出るまでは先の見えないトンネルをずっと歩いている感じでした。しかし努力の甲斐もあってか、以前は2500キープが精一杯だったものが、余裕が出てきて少し楽になったりはしていました。
くろちゃんと二人三脚で、対抗戦などに取り組むようになりました。プレイスタイルや、考え方を吸収していく中で、そもそも「自身が何も考えずにプレイをしている」ことに気づけたのは本当に収穫でした。よく見捨てないで彼も付き合ってくれたと本当に思う。下手くそを見ているのは辛かっただろうに。
(↑当時のメモ書き。すねげさん、元気かなぁ…)
●努力が結果として出てきた
鬼の鍛錬を積み重ね、ようやく結果を残すことができるようになった瞬間がありました。
この時期、かずーはがグロウアップ杯2ndを開催してくれました。
(↑大会要項)
自分も選手として出場しました。
(↑チームのみんなとコーチ。結果はドベでした^^)
大会後、努力が結果として出てきました。勝ち方がわかったのか、「勝てている試合は、自分がこういうことを出来ているから勝てている」ということが言語化出来るようになったのです。結果、ガチマッチの成績自体もかなり上向きになりました。当時の自身のハイスコアにもすんなりと到達しました。
そして。その月の最終日のガチマッチにて、
無事2600となりました。
(あまりにもクソリザルトでわらける)
(↑真っ先にお世話になったくろちゃんに報告しました。喜んでくれた)
俺、ゲームで泣いた経験なんてなかったんだけど、この時は涙ポロポロでした。それだけ本当に嬉しかった。長い間苦しんだけど努力が実ってよかったこと、ようやく周りの皆と肩を並べられるようになったこと、何より、時間を潰してずっと付き合ってくれたくろちゃんに恩返しができたこと。色々な想いがありました。
「人に教わること」の大切さを学んだ瞬間でした。もちろん自分自身で努力をして上達をすることも大切ではあるけれども、自分よりも「格上」の存在から、そのプレイ・考え方を吸収することって改めて大事なんだな~って思った次第でした。
●ハイスコアと逃走
月が変わり、早めの段階で2ヶ月連続で2600に到達しました。この時私は就職したこともあり、在宅の日でも休憩中はガチマッチに取り組むようになりました。
ガチマッチに取り組んでいく中で、パワー2600帯でスタック出来るようになりました。月末に近づくにつれて、自身の最高値も比例して少しずつではあったけど伸びていきました。
(↑血の滲む努力をし実力を身に着けた結果、ロック・リーと呼ばれるようになりました)
パワーも2670ぐらいまで伸び、何度も何度も2700チャレンジの瞬間はあったけれども、焦りからティルトして全然まともな動きが出来ず、結局2700には到達出来ませんでした。バンドやってるときもそう、ライブ本番だと緊張から歌詞が飛んだりとかコード吹っ飛んだりとか普段しないようなミスっていっぱいしちゃうんよね。
同じ月、YouTubeを開いたらガチマで味方としてマッチングしたプラコラ使いのガチマ配信がレコメンドされていました。恐る恐る配信を開いてその試合を観てみました。その試合は動きもリザルトももまともだったのですが、「こいつはニワカ」「キャンプの動きじゃない」みたいにボロクソに批判されてて、萎えてしまいました。
この時、Splatoonを続けていく上での自分の中のモチベーション糸がプッツーンって切れてしまいました。初めてここまでボコボコに言われたこともあり、「二度とやんねえわこのゲーム、やめるわボケが」と、Splatoonから完全に逃げたのでした。
●エンジョイ勢へ
結局、この5年間で、Splatoon2のパワー最高値はエリアの2674で終了しました。
もう少し頑張っていれば2700に載せられていた自信はあったかなぁ。この時が本当に脂ノリノリだった。
ショッキングな出来事があったことや、別ゲーが流行っていたこと、周りの人たちがみなSplatoonから離れていたこともあり、自分もやらなくなってしまいましたとさ。そこから時が流れて今に至ります。
と、自分のストーリーはこんな感じでした。所々もう少し端折って執筆したかったのですが、結局ここまで長くなってしまいました。拙い文章ではありますが、お読み頂きまして、ありがとうございました。また、今まで関わってくださったフレンドの皆様全員に感謝を。
3ではそこそこ頑張る予定です。最初の目標は、夢はでっかく「全ルールカンスト」かな。もちろんウデマエX実装までに。
それでは、ありがとうございました。バンカラ街でまたお会いしましょう。
最後に想い出の写真でも載せておきます。
(↑双葉杯2。w/Pe-san 。この時頂いたヘッダーは一生の宝物です)
(Pe-Cup w/ぐおー、りつむ、すばる。初めてドラフト杯の主将を務めた。4人で本気で勝ちに行くガチアサリは、マジで面白い。)
(自身初めてのリグマ1位🥇w/マーマレード、しゃり、Pe-san。朝9時からの健康リグマだったことを覚えています。)
(↑2021/12/31-2022/1/1。んほーのみんなで初詣)
(↑缶チューハイ杯 w/わかたま、てっど、ユーキ。酒飲みながらゲームするもんじゃねえわ)
(↑フリーザ杯&マスチェニー杯 w/しぐやん、すばる、わっふる。マスチェニーのときは本当にご迷惑をかけてしまい申し訳ございませんでした。一生かけても償えないと思います)
(↑アサリ王冠。ちなみにブキトップ。実は計測+1戦しかしてません。)
(Best Friends Cup。w/ぱえ。28ボトルに勝ったのに次のあつむりとかそこらへんにボコされたのが悲しい)